コラム

#わきまえない女とパワハラの根源

「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」
「組織委の女性はわきまえておられる」

東京オリンピック(五輪)・パラリンピック組織委員会の森会長の発言は注目を浴びました。

そこで出てきたのが「#わきまえない女」

女性たちは「女性は競争意識が強い」「女性がいると会議が長引く」「わきまえる」という言葉に反発や違和感を覚え、多くの声を上げるに至りました。

 

辞書を調べると「わきまえる(弁える)」とは「物事や善悪の区別をする」「道理を心得る」という意味ですが、日常的には「身の丈、身の程を知り分相応に振る舞う」というイメージがあります。

そう考えると、「わきまえましょう」という言葉を発する人からは、

・自分の方が道理を心得ている
・相手は道理を心得ていない
・心得ていない人は心得ている人に忖度しなさい

という意識が感じられます。

つまり『わきまえる』という言葉からは、自分にとって都合の良い人や状況を取捨選択できるという優越的な特権感覚が透けて見え、昨今問題となっているパワハラと関係が深いと感じるのは私だけでしょうか。

 

昨年改正されたパワハラ防止法では「優越性」について「抵抗や拒絶することができない蓋然性(可能性)が高い関係を背景として行われるもの」と定義されました。

日本では立場の上の人や年長者を立てる(その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人をうやまう)のが一般的で、誇るべき文化です。

しかし、役職、立場、年齢などの上位者が「わきまえてください」という言葉を発すれば
「従ってください」「あなたの意見を言わないでください」
という相手の忖度を利用した無言の圧力と捉えられても仕方がないのです。

 

たしかに多様性を取り入れながら合意形成をするには時間がかかります。

しかし、女性からの多様な意見を取り入れ、男性社会に異論をもたらし、新しい考え方を取り上げていくことは今後の多様化する社会にとって重要です。

カリスマ的リーダーの元に集結した集団が、トップダウンで物事を決め突き進むという構図は、答えがなく、多様化する現代にはマッチしません。

ましてやそのリーダーが「女性は…」「わきまえる」という認識を持ち、公言するとなれば、簡単にパワハラを生み出してしまう危険性を孕んでいるのです。

 

弊社のパワハラ研修では加害者の主観についてよく取り上げます。

「そんなつもりはなかった」「嫌がっていると思っていなかった」などなど。

しかし、その根底にはパワハラをしてしまう本人も自覚していない差別意識や優越意識が存在しています。

「この人になら、これくらいは言ってもいいだろう」
「立場を考えれば、相手はこれを受け入れるのが筋だろう」
「そもそも原因を作ったのは相手なんだからしかたない」

こうした考え方や意識を変えない限り、パワハラは決してなくなりません。

 

パワハラ防止研修の中で「『わきまえろ』という言葉を使用しないようにしましょう。」

と、言ってはいけない具体的な言葉を例示するだけでは問題は解決しません。
その言葉の奥深くに自分のどんな考えや意識が眠っているのか。
そこを紐解くことが重要なのです。

 

今回の騒動は無意識の中に眠る差別意識や優越意識の怖さを私たちに教えてくれました。
自分の中にある無意識に目を向け、パワハラ防止に取り組んでいきたいものです。

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